走るきっかけ(6) ~ 2011年以降 ~ ハロー!ランニングアゲイン
再び走り始めてから今まで、レースを中心に。
2011年:さよならマラソン 100分切り
ロードバイクに違和感を抱き始めていた2011年。秋口、自転車で走れなくなった頃に「札幌さよならマラソン」へ出ることにした。
SNS方面で今のチームメイトとお知り合いになった頃で、ランへのモチベーションがぐぐっと上がったりしたのもあって。
タイムは目標とする100分を切り、チームメイトの声援を受けて走る楽しさ的なものにも感動してランにハマっていく。
この頃から早起きが習慣化され、走る時間を作るのがそれほど苦じゃなくなった。ランだと3時間走れば十分満足=3時に起きれば大丈夫っていう。
ロードバイクと比べて、気軽に無理できる。寝不足や疲れが残ったまま早起きして走っても、思うように走れないってだけで転ぶとか無いし。
2012年:洞爺湖マラソン サブ3.5
会心のレースで3時間28分。ほぼイーブンのネガティブスプリットで、レース中、30kmを過ぎてからこれ以上は無いくらい頑張った。
このとき頑張りすぎて、自己ベストを出すにはあんなにえずきながら走らなきゃ無いのかというトラウマに。フルマラソン=キツいというイメージができちゃった。
今後、このとき以上に頑張ってレースで走れないだろうし、したくない。地力をじわじわ上げ、頑張らずにこのときの記録を超えるのが目標だ。
家族旅行を兼ねて行ったのは失敗だったかも。子供二人を奥様に任せっきりになり、相当の負担を強いてしまった。しばらくマラソンと家族旅行は別でいい。
2012年:初サロマ 完走
初サロマ、11時間45分くらいのゴール。ワッカの往復はほぼ歩きで、そこは残念だったが充実感に満ち溢れたフィニッシュだった。
歩いてしまったけれど、あのワッカの美しさったらない。そしてあの美しい光景を走れず歩いてしまった残念さも、景色の美しさの分だけ心残りで。
いつかワッカを、あの、美しく続く曲がりくねった道を歩かず、駆け抜けることができたらと。とろけるような思い出。
最初におがまんさんに会ったとき(2006年?)、初サロマ完走後の打ち上げだった。あのときうざいくらいにサロマいいよって勧めていた気持ちがようやくわかったw。
あのときのあの笑顔、ああこのくらいの歳になっても(←失礼)こんな笑顔で喜べるんだってのはその後のラン方面の活動に多大な影響を与えていたりする。
2012年:北海道マラソン 初ワラーチフル
道マラはどうせタイム出ないしってことで、自作のワラーチでフルマラソンを走ってみた。4時間30分くらいでゴールしているが、バテバテでヘロヘロ。
新川通の復路で紐がちぎれ、修復に15分くらい。意識朦朧だとおかしな行動をする。紐がちぎれペロンペロンなのに走れる、走れると数分走ってたのが思い出深い。
途中まではサブフォー行けるかなというペースだったが、身体のバネが無くなった途端にショックを吸収しきれずペースダウン、キツかったなあ。
それまでアスファルトを走っていたのが、急に砂利道に突っ込んだような。でも途中まではアスファルトなんだ。こっちが重要だから。
2012年:鵡川ししゃも駅伝 親子ペア
自分はチームの方々と駅伝。奥様は息子と1.5kmの親子ラン。寒かったけど、火を囲みながらまったりできて楽しかった。屋台も良かったし、機会があればまた行きたい。
この時期はランニングイベント目白押しだし、秋の終わりで家庭行事もたくさんありそう。よっぽどチームで大々的に出たりしない限りは参加難しいのかも。
2013年:洞爺湖マラソン 撃沈
そこそこ冬の間も練習してて、月間250とか走ってた。自己ベスト更新を目標にしていたのに、3時間34分で撃沈。タイム以上に残念感の大きなレースだった。
撃沈すると精神的にキツすぎる。頑張らないで走るマラソンを強く意識しだしたのはこの頃。全部のレースを頑張らないでもいいというか。
自分は家庭の事情もあって参加レースは多くできない。ゆえに参加レース全てが本命で、ステップレースなんてない。これは今後も変わらない。
ただ、だからって全部をキツキツで走っても楽しくない。楽しくないから練習しない→練習しないとタイムが出ない→やめるという負のサイクル。
タイムが出たらうれしい。思うように走ってタイムが出たらもっとうれしい。思うように走ってタイムが出なかったらどうなんだ。ってところが今の考えどこ。
2013年:サロマ 轟沈
サロマもダメだった。レース一週間前から体調を崩し、レース当日も30km地点から下痢と嘔吐のためチカラが入らず55kmでDNF。30km過ぎからは歩いてた。
リタイア後、回収されて辿り着いたゴール地点で見上げた空が青すぎて泣いた。塩焼きそばうめえ。くっそ、空が青すぎる勘弁してくれと。
走ってて調子がいいとどこまでも行けそうな全能感?に包まれるが、特に内臓系が調子悪くてダウンすると、圧倒的な無力感に襲われる。荒野にひとり。
マシンガン片手にヒャッハーしてたのが、いきなり素手。じわじわ絶望して行く。二十歩走って立ち止まる。まだ走れるのに走れない。
頑張りたいのに頑張れない、絞り出したやる気が一歩ごとに失せていくのは…。あんな想いはもうしたくないが、またなったら今度は立ち向かえるかな。
2013年:札幌支笏湖ウルトラチャレンジ 完走
何か掴んだ気がする。サロマでダメだったとき、もうこれでマラソンも終わりかなと脳裏をかすめた。やっぱダメなんだって。
チームに入っていなかったらサロマを走っていなかったと思うけど、チームに入らず走ってたらやめてただろうなあ。思った以上にすり減っていた。
自分はマラソンに向いてない、子供いてって状況じゃ満足に練習できない、ストレス、俺何やってんだ的な袋小路。タイム出ない、完走できない、楽しくない。
この大会で、ああこうやって走ってゴールしたら楽しいんだなって思えた。自分なりのゴールというか、どうだったら納得できるのか的な。
主催者様から後日送付されてきた写真を見てびっくり。自分のゴール写真、笑顔が素敵すぎ。俺はこんな顔でゴールできるんだって、ものすごくうれしかった。