今後~サロマ湖100キロウルトラマラソン2015(06)
残念ながら完走できなかった2015年のサロマ。完走できなくてよかったとか言ってますが、そもそも自分には「完走できなかった後の人生」しかなく、そこをどうするしかないわけで。
完走できなかったけど、どうする?準備不足と繰り返しているけどそれは直前であって、それなりに練習してきてこれだ。冬は毎日走った。大げさでも比喩でもなく毎日(効果的な練習かはともかく)。さあ走るのやめますかどうしますか。
走るのをやめようか、へ至る病
走るのをやめようか、と考えるに至った理屈としては以下が挙げられます。
1.まとまった練習時間を確保できないので走力を向上できない
冬も毎日こつこつと走り続けてそれなりに走力は維持できていましたが、春になってさあこれからという時期に、長い距離を走る練習ができませんでした。30km超がたぶん3度くらい、うち1回は洞爺湖マラソン。
- 春から共働きの奥様の土日休みが無くなり、自分(土日休み)と休みが合わなくなる
- 平日は息子と毎日サッカーの朝練をした
- 息子のサッカーチームのコーチが忙しくなり日中には走れない
- そんなこんなでチームの練習会に参加できない
- 思うように練習できずひとり練のモチベーションが上がらず
2.これからの流れがよろしくない
走ることに対してポジティブな要素が見つけられませんでした。あり得る未来として、自分がばりばりと走っている姿を思い描けなかった。健康維持のためのランニング、からのめんどくせ。
- 息子のサッカーが忙しくなる
- 自分は低学年コーチ、息子は高学年になったので午前午後サッカー
- あと2年半は子供のサッカーにびっちり付きたい
- 娘とも遊びたい
- 女の子だし構ってもらえる時期は短いと思われ
- そうなるとチームの練習会にも出れず練習量が確保できない
- ひとり練だけだといまいちテンションが上がらない
- 日々のジョグ10kmくらいを週3くらいでいいか
- 子育てが一段落したらランニング再開か
- それまでジョグで最低限の走力を維持できればいい
- 走らなくなるわけじゃないしたまに親子マラソン出たりして
- なんて思いながら走らなくなるんだろうな
- ピザポテトまじうまい
3.走らない生活のなんと楽なことよ
サロマ前に右肩を故障して走らなかった10日間くらい、走らないってすごく楽だなと思いました。日々の暮らしの中に「走ること」が無いだけで、ものすごく心にゆとりができる。時間もだし、気持ち的にも。
ランニングという大きな塊がぼこっとなくなって、ああすっきり。私は真面目なランナーではありませんが、それでもこんなに思うんだって。走るのやめたら楽になるなってわくわくしました。
朝は時間できる、週末も時間ができる、身体も楽だ。休日を練習会やレースに取られることもない。練習会やレースに出れなくて、ああいいなあって思うこともない。練習やレースでつらい思いをすることもない。いいねえ特に最後のやつ。
4.私の「負のドミノ」
- 自分なりには練習する
- 家庭や仕事の都合などで思ったような練習はできない
- ここのギャップが「負1」
- それを理由にランニングへの熱量が下がる
- 練習の質も落ちていく
- これが「負2」
- 準備や対策をちゃんとしないままレースに参加
- 練習してないし考えも足りてないからうまく走れない
- これが「負3」
- レースまでの「ストーリー」がないのでピンチに踏ん張れない
- よくないタイムで終わったりリタイヤしてから悔しがる
- これが「負4」で振り出しに戻る
振り出しに戻ったときは、一段下がったところからスタートです。ぐるぐると螺旋を描きながら下がって、走るのが好きだって気持ちを凌駕する。サロマを完走できず、さあいよいよどうしようかって。
なんか悔しいので走る
今まで書いてきたことは以下で論破。
『忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。 僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。』
(村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」)
走るのをやめて小太りに戻り(昔は若花田に似てるってよく言われてました)、ポテチとビールを満喫し、少し動いただけで汗びっしょりになるのも悪くないな、なんて思ったりもしました。そういう幸せもあるだろう。でもそれとは別個で…
なんか悔しい。
走れなかった理由はたくさん挙げ連ねることができるのですが、走る理由はそんなにはありません。
- なんか悔しい
- このまま終わったらつらかっただけ
- それは損だろう、損はしたくない
- ずびゃーっと走れるようになりたい
今後
ちゃんと走る。
お陰様でサロマを完走できなかったものですから、当然、来年のサロマでリベンジするわけです。ランニングなんて辛くて楽しくない、レースはトレースとかどうでもいいとも思いましたが逆張り。具体的な計画はこうです。
- 10月にハーフで100分を切る
- 11月の真駒内マラソンで3時間40分を切る
- 来年の洞爺湖マラソンでサブ3.5アゲイン
- 来年のサロマを完走
- 再来年の洞爺湖マラソンで3時間15分を切る
- 再来年のサロマでサブテン
どやぁ。
タイムを狙う。頑張る。スピードアップしてフルの記録を狙います。これを当面のモチベーションとする。キロ5で楽に走れるようになる。練習ではキロ4とか普通に出す、ゼエハアしてゲロ吐きそうになるのが気持ちいいってなる。そこに至る理由はこうです。
- 来年もサロマにチャレンジしたい
- そのためには走ることにちゃんと取り組まねば
- 駆け抜けるヨロコビが正のサイクルを生む
- 忙しかったりする中で走る時間を作るには生活を正さないと
- 正しく走るために正しく生きる
- 正しく生きるために正しく走る
どやぁ。
高い目標を持って走ることに取り組むめば、生活習慣やら健康栄養なんかに気を遣う。時間が無い何が無いって言って走らないより、走る方が家庭も仕事もむしろしっかりできんじゃないか。余裕があると自分を律するのは難しい。頑張った方が楽しめるはず!
そんなようなことを思ってます。サロマ完走したかった。練習や準備不足だったけど完走したかった。したかったけれどできなかったし、せっかくなのでこれを機にちゃんと走って正しく生きる。速くなくとも正しく走る。そのスピードで。