朝ラン門限六時半

朝ラン門限六時半@札幌

走るきっかけ(4) ~ 2006年 ~ 道マラ撃沈、走るのやーめた

走るのやんなっちゃって。
タイム出てれば、もしくは身の程をわきまえていれば続けられたのかも。

洞爺湖マラソン、初フル、サブフォー

順調に練習して迎えた2006年の洞爺湖マラソン、3時間52分でゴール。初フルでサブフォーを達成。前半をキロ5ちょい、後半はキロ5'45くらい。

月間走行距離と練習ペースからすると当然出せる結果だったので、そんなにうれしくはなかった気がする。思ったよりはタイム出なかったなと。

今になって思えば、後半のペースがダダ落ちでバテてるから、走って楽しかったって思えるレースじゃないのは当たり前なんだけど。

厳しかった頃の道マラ

まだ追分通りを走ってた頃、制限時間が4時間だった頃の道マラ。ここでの完走は北海道のランナーにとってはある種のステータス。

バイクの大型免許を限定解除ではなく教習所で取った自分にとって、制限時間が4時間のうちに完走するのはある種リベンジ。

ってリベンジできなかったんだけど。そういう人にはそういう結果なのかなと途方に暮れたのを覚えている。

練習でけんがなストレス

洞爺後にちょうど仕事が忙しくなってしまい、子供も小さかったりして走る時間を確保できず。仕事終わってからの夜ラン、休日は睡眠不足での朝ラン。

休日の日中に走りたいし、奥様に言えば走らせてくれるだろけど子供と遊びたいし家族とも出かけたい。何のために走ってるんだというありがちな罠に陥る。

その頃は早起きの習慣が無く、帰宅ラン中心で、リュック背負ってたらたら走るだけで道マラをサブフォーできる経験値はなく。

道マラ=水の奪い合いと立ちションにドン引き

さてレース。気温30度、暑かった。スタートの真駒内公園は陽炎が。当時の道マラは今ほどのユーザビリティが無く、給水所では水の奪い合いが発生。

自分の走行ペースでは給水所に水が無くなり、我先にと水を奪い合う姿がゾンビの群れに見えた。皆が目を吊り上げ、怒号が飛び交っていた。

北24条通で立ちションする人が多数。新川通のマクドナルドちょい前、北大馬術部のあたり。すぐ先にガソリンスタンドあってトイレ貸してもらえばいいのになんでだ。

暑くて具合も悪くなって来たし、ハーフ地点、ちょうど1時間50分で走るのをやめてしまった。何かがプツンと切れて走ることができなかった。

うまく走れないことと、先述した水の奪い合いや立ちションの光景がうまいこと重なり、「俺、あの一員じゃなくていいや」と思った。当時は。

走るのやーめた

子供がいて会社があっての生活で練習量を確保できず、きっちり練習しなかったら楽しめないモノならやってらんねえやって、当時はそう思った。

ストイックに週何日って練習の仕方は自分にできないな、それを強いるスポーツはできませんって。思ったように速く走れないし。

で、またロードバイクに戻った。転倒し死にそうになったから辞めたのに、今度はゆっくり走るから大丈夫って理由でカンバックw。

機材スポーツだから、パーツを買ったり替えたりする楽しみがある。そんなに頑張らないでも、週末だけマイペースで楽しめるかなって。

この頃は、ハーフのタイムが縮んだりサブフォーできたり、記録を更新する楽しさはあったけど、走る楽しみは無かった気がする。

走るきっかけ(3) ~ 2005年 ~ 走り始める

ロードバイクに挫折し、いよいよ走った。

ランの才能、無いのう

昔のランニングダイアリーを振り返ると、出だしは相当に才能ない。キロ8で3キロとか。ロードバイクでそれなりに体力ついたつもりだったが、ランはとにかくダメ。

ダメだったけど、マラソン、真夏の北海道マラソンを完走したいという想いで頑張って走り続ける。近所を3km走るだけでいっぱいいっぱいな日々が続く。

自分は相当に走る才能が無い。練習量に対して出る結果が芳しくないw。最初の頃は走れば走っただけ走れるようになるので、そのあたりが楽しかったのかな。

北海道マラソンを目指したのは、なんとなくw。まだ制限時間が4時間だったし、きついのクリアできた俺すげー的な。事故からここまで回復してオツリもあるぜ的な。

レース!レース!レース!

そこそこ走れるようになったから、レース出てどんだけ走れるのか見てみましょうかと。すんごく練習してるつもりが、結果はこんなもん。

  • 札幌マラソン:10km
    • 52分
  • 北海道ロードレース:ハーフ
    • 1時間45分
  • 札幌さよならマラソン:ハーフ
    • 1時間42分

走りだして間もない時期だから、走るたびにタイムが縮んで楽しかった。キロ8の頃からすると夢のようなタイムで走れてるし、充実感はあった。

目指せサブフォー洞爺湖マラソン

そこそこ順調にレースをこなし、サブフォーへ向けて冬も走り続ける。スノーターサー(この靴は今も履いてるw)を購入し、冬ももくもくと走る。

春の洞爺湖マラソンで初フルを経験し、夏の北海道マラソンが目標。月間250~300kmは走ってたんじゃなかったかな。

走るきっかけ(2) ~ 2005年 ~ 走る前にロードバイク

骨折が治ったら走るつもりが、自転車へ寄り道。
ロードバイク第一期。

なぜ走らなかったか

膝の回復が思わしくなく、いきなり走るのは厳しかった。そもそも運動の習慣も無く走るのが得意ではなかったから、自転車からやりますかと。

バイクに乗っていたから同じ二輪、アクセルを捻るか自分でペダル回すかの違いかなって単純な考えで。リハビリとしての自転車。

盛り上がり

最初、タイヤが太めのシクロクロスバイクを購入し、楽しくなってロードバイクを購入。ロードバイクすげーすげーってなった。これはいいもんだなと。

ロードバイクに乗って興奮しない人っているのかな。テンションの上がり具合ったら無かった。あの最初の興奮、全能感、いまだに覚えてる。

なぜ終わったか

バイク事故のリハビリでロードバイクに乗ってたのに、ロードバイクで転けてあわやってなり終了。なにやってんだ。

自分がロードバイク、奥様と赤ん坊はクルマで途中合流というありがちな旅行を計画。滝川で合流する予定が、少し前で自分がアスファルトをスライディング。

275号で車道の陥没にハンドルを取られ、横倒しに転倒。時速30km/hくらいで対向車線に滑走。対向車や後続車がいたらお亡くなりだった。そんな覚悟は無かった。

擦過傷でジクジクする尻や肘にマキロンをぶっかけ、旅行は継続。ずるむけの皮膚に張り付くジーンズ、旭川の陶器市、つらかった。自転車をやめることが。

ロードバイクは没収命令が出され、いよいよ走ることになる。第一期ロードバイクは、2005年の春から秋までのごく僅かな期間だった。

走るきっかけ(1) ~ 2004年 ~ 10年前のバイク事故

ラジオ出演に際して振り返ってみたので、何回かに分けて記す。

===

直接的な走るきっかけは、10年前のバイク事故。
一度に両手首右上腕右膝を骨折し、そこからの復活が引き金となっている。

結婚式の前に事故る

ハタチくらいから10年くらいバイクに乗っていた。結婚式の4ヶ月前、独身最後の長距離ツーリングへ出かけ、交通事故に遭遇。

札幌から稚内稚内から斜里、斜里から札幌を二泊三日の強行軍。最終日、当麻町。それまで1000km以上を走り、あと100kmちょいで札幌というところでどかーん。

事故の概要

田舎道の交差点で、トラックと右直。直進するバイク、右折しようとするトラック。バイクとの距離感を誤り、交差点に進入、道を塞ぐトラック。

よけきれず衝突するバイクと人。トラックのフロントグリルにめり込む。BMWさんがくしゃくしゃに。人もくしゃくしゃに。

旭川での手術

救急車で旭川市内の救急病院へ搬送され、手術。開放骨折していた左手首のみ手術。左手首、右膝、右上腕も複雑骨折しているが、埋め込む器具が旭川に無いという理由で後日後回し。

ダリオ・シルバは同じような事故で破傷風により脚を失っている。大げさではなく、開放骨折やばいんだってば。

旭川の病院は面白かった。両手片足骨折の自分が病室で一番軽症だったり、両手片足骨折なのにストレッチャーでトイレに行けと言われたりのサバイバル。

油かぶって胃をやけどした人とか、歩いてて後ろからクルマにはねられた人とか、一晩中うめき声と病室を出入りする患者さんやご家族の泣き声が続いてた。

札幌での手術

事故から10日後、札幌へ搬送され、残る部分を札幌で手術。よくわからないけど、そこそこ大変な手術だったらしい。

右膝は可動域と逆に強い衝撃が加わり、膝の下皿が圧迫され砕けたので完全治癒しない可能性があるとのこと。マジか。歩けないかもってマジか。マジかー!

お医者さん独特の言い回しなんだろうけど、これから結婚しますってときに、歩けないかも知れませんって告知は結構きつかったな。

ほぼ完治

80日ほどの入院ののち、無事に退院。装具をつけながらの退院だったが、まともに歩けない状態。走れるくらいに治ってやる!と誓った。

歩く、じゃなくて走る。軽やかに走れるようになりたいなっていう。それまでスポーツと縁遠かったのに、なんか「ああ走りてえ」と思った。

ってのがいま走ってる直接のきっかけ。手術もリハビリもかなりうまく行って、ほぼ完治。可動域が多少は制限されているけど、日常生活に支障はない。

膝は前後方向はOKだが、横方向や踏ん張りに弱く、「膝が抜ける」感じで転んじゃうので、やれるスポーツは限られる。というのもランしてる理由のひとつではある。

結婚式は松葉杖

結婚式の前に事故ったので、結婚式は全て奥様が手配および準備。しかも、レストランでやるほぼ手作り結婚式だったので、かけた迷惑たるや…。

というのもあって、奥様には頭が上がらず尻に敷かれ続けて約10年。ランニング生活を語るときには結婚生活を語ること。

2014年の出走計画

ランニングイベントは月1回。家族行事や息子のサッカーコーチもあるので、そうそう家をあけることはできないので見極めていかねば。

1月:ラヂオ出演

予定ではあるが、インターネットラヂオに出させてもらうことになっている。何を話そうか、特にネタとしてしゃべるものはないんだけど。

2月:東京顔マラソン

2泊3日でどどーんと。12月に頑張って働いたご褒美的にお休みをいただく。旅行好きではない自分がどう楽しめるか、我が事ながらすごく期待。

3月:札幌千歳ラン

特に予定は立って無いのだが、なんとなくやりそうな気がしている恒例のチームラン。冬にフルの距離を走るのはなかなか楽しい。

4月:伊達ハーフ

シーズン初めにハーフ走ってもタイム出ねえよと今まで不参加だったが、今年は帰りのビールを楽しみに参加予定。そろそろハーフのPB更新したい。

5月:洞爺湖フル

自分なりに練習を積んでどういう結果が出せるのか、レース本番でどういう走りができるのか。冬季間の成果を出す大一番。

6月:サロマ100km

想像しただけで吐き気をもよおす。今年失敗したら自分のラン人生はどうなってしまうのだろう…。頑張りますか。

7月:キャンプ&ラン

チームの方々とキャンプ。昨年はキャンプをしたものの子供達を置いて走りに行くことはできず、今年は走れたらいいなあと。

8月:道マラフル

出ようかなと思っている、というだけで決意のほどはあまりない。どうやったらフルマラソンを楽しめるのかなという、今のところ悩みだけで考えが先に進まず。

9月:ウルチャレ70km

札幌支笏湖往復のこのレース、昨年はとても楽しめたので今年もぜひ。とは思うが家族とキャンプに出かけたりもしそうなので、今年はどうなるかわからない。

10月:未定

秋もハーフに出たい、とは思うがどうかなあ。11月の参戦予定次第で、走るモチベーションが全然違うと思うし。

11月:未定

苫小牧のフルマラソン挑戦会に出るのか、さっぽろさよならマラソンで終わるのか。洞爺湖マラソンを走った感じで、フルマラソンって…的な考えが定まりそう。

12月:忘年会

先のこと過ぎてわからないが、この時期に道外のレースへ参加とかは無理くさい。チームの忘年会に出る、で終わりかな。

===

この他にチームでのランイベントなどに出たり、出たいと思いつつ不参加だったりしそう。とりあえずは道マラまでは走るの頑張るかっていう。