朝ラン門限六時半

朝ラン門限六時半@札幌

10.サロマの決意を考える〜サロマ出走計画

ハシルヨロコビ2012・春

最近、走るのが楽しい。楽しいんです。走ること、それ自体に快感がともなう。うまく走れたらうれしいし、ちょっと呼吸が苦しくなるのがたまらない。


走ってない人からするとおかしいですよね。おかしくないか。なんでそんなツラいことするんですか的な感じなんじゃないかなと。普通は。本が好きって言って、えらいですねって言われたときと同じ微妙な違和感。好きだからやってる。そうは言ってもそうじゃない的な。なに言ってるのかよくわかりませんが、伝えたい、この気持ちw。


以前はこんなに走るの好きじゃなかった気がする。以前って、この前の冬とか。寒かったからかな。何かしらの目標(タイム・距離・フォーム習得)を達成するために頑張って走ってた。修行割合は高かった気がする。今はあれです、ハシルヨロコビ。そんなのに満ち溢れている。


走ることが楽しい。走れることの幸せ。今年のサロマは「走れることの喜び、幸せ」ってサブタイトルでまさにそのとおり。そうなんです。100kmを走るのは大変だと思うけど、100kmも好きに走らせてもらえるんです。こんなに贅沢なことはない。100km走り切るための練習もやらせてもらえたし。


日曜日に、サロマの湖畔を、ひとりで時間を気にせず好きなだけ走れる。飛ばしてもいい、ゆっくりでもいい。5km走ったら給水や食料、それに応援だってもらえる。走ってたら仲間とすれ違ったりできる。過ごした時間、思い出を共有できる。レースに出るってそういうことなのかと、ちょっとわかったかも。


素敵過ぎて倒れそう。10km走ったら超気持ちいいんです。それをあと10回もできる。楽しすぎるじゃないですか。うまいからってセーコマのエクレア10個食ったら素敵じゃないけどw。でも、走り続けて気持よさが抜けたあとになにがあって、ツラくて苦しいその先になにがあるのか、なにもないのか見てみたい。100km走って感動できなかったりするのかとか。


サロマ後のことも色々と考えています。生命じゃなくて余暇的な意味で自分にはあまり時間が無かったりするので、走ることしかできないだろうなあと。それすら自分のやりたいようにやれないな、やっぱり家族と過ごす時間を大事にしたいしと思ってて。走ることとか自分の好きなことを、どう家族と結び付けられるかなって。家族のよろこびそうなことを、どう好きになれるかなって考えてます。


走れることに感謝し、走れるときには思い切り楽しみたい。こうして100km、そこに挑戦できる自分が誇らしいし、ここに立たせてくれた家族や友人に感謝の気持ちでいっぱいです。スタート地点に立つ人、みんなリスペクトです。スタート地点に立つまでの苦労、わかるから。


おそれず侮らず、自分を信じて精一杯やってきます。精一杯やってどうだったのか、精一杯できたのかできなかったのか。こころ折れたのか、折れたこころをどう運んだのか。感動したのかカタルシスはあったのかなかったのか。胸を張ってゴールできたのか。どうだろう。


ということを、ゴール後に振り返って「バカヤロウ(@ビートたけし)」って。あの愛のあるバカヤロウで振り返れたらこんなに幸せなことはありません。