朝ラン門限六時半

朝ラン門限六時半@札幌

やりたいこと、できること〜2012年を振り返る

走行距離で振り返る

年間:3,423km(285km/月、9.37km)

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トータルの距離だけ見ると「よく頑張りました」けれど、サロマで燃え尽きていること、はなはだだしい。それは記録にもはっきり出ている。

  • 01〜06:2,185km(364km/月)
  • 07〜12:1,238km(206km/月)

って、やっぱり「よく頑張りました」だ。

振り返ってみてよかった。後半は全然走っていないと思ってたけれど、大会にエントリしていないのに平均200km/月を走ってれば十分過ぎる。ちょっと涙出た。

各月概要

01月〜04月

サロマへ向けてラン中毒になっていた。はじめて走るウルトラマラソンへの不安からというのではなく、走ることに毒されていた。悪い意味です。

この時期があったから、急ごしらえで作った土台があったからサロマで完走できたとは思うが、振り返ると、もっと違うやり方があってよかったと思う。

5月〜6月

5月は洞爺湖マラソンの調整で走行距離が減っているので、これは順当。本命のレースだったので、これでも走りすぎかも知れない。

6月はサロマ当日分を引いて300km。ウルトラ走る月にそんなに走ってちゃいかんだろうと、今は思えるけれど。サロマ当日、普通に疲労が残ってたんだろうねえ。

07月〜08月

サロマ後の虚脱感を埋めるべく、北海道マラソンへ向けてワラーチで走った夏。顔マラを走ったりしながら、なんとかモチベーションを保とうとした。

ウルチャレにも出たかったから、頑張って走ろうとしていた。どう走ろうか悩みながら、たかが走ることにノイローゼ気味になっていたように思う。ブログ更新が滞る。

09月〜10月

9月は家庭行事とロードバイク熱の再発により、まったく走れなかった。楽しみにしていたウルチャレに出れず、いろいろ無理かなと思った。

10月は北海道のマラソンシーズンではあるけれど、どの大会にエントリすることもできなかった。ロードバイクもパノ3に出れず、進退窮まる。

11月〜12月

年末がピークで忙しいので、そこに向けての助走期間である11月も走れず。多忙+子どものサッカー練習に付き合ったりで時間が無かった。

12月は忙しすぎて子どものサッカーに付き合えず、逆に走る時間ができた。12月にバタバタと自分なりのいい着想に出会え、来年も走れそうな手応えを感じている。

10大ニュース

1.洞爺湖マラソンでのサブ3.5

サロマ完走よりもこっち。完全にフラットなペースで走りきってのサブ3.5。序盤から思うように貯金を作れない中、失速せずに走り切れた達成感が半端ない。

20km過ぎて途端に重くなる脚、35kmまで持ちこたえたつらさ、35kmから飛ぶように駆けたこと、41kmの上りでの苦悶など、思い出したくないことばかりw。

サブ3.5できたらカッコいいなと思っていて、達成したけれど。達成して、サブ3.5でもサブ4でも、ベストを出しきる苦しさはなにも変わりがないと心底わかった。

けれど、サブ3.5へ向かって練習しているとき、心地よく気持ちよくうっとりするくらいスムーズに走れるときがあって、その息遣いとか含めてすごく好き。

って書いてて超気持ち悪いんだけどw。でも、またサブ3.5を目指すかどうか、あの甘露を味わいたいかどうかはとても悩ましい問題。

ヨメとムスコに、ニューハレテープに応援メッセージ書いてもらって、それがものすごく励みになったことを思い出した。

2.サロマ湖100kmウルトラマラソン完走

何度思い出してもワッカはいい。行きは泣きながら歩いてたし、帰りは歩くようにしか走れなかったけれど、それでもまた走りたい。サロマの道程はストーリーがあってよい。

サロマで100km走って、その日に深夜バスで帰札し、出社したのもいい思い出。ネタ的においしいというより、ああできるんだって。

100kmを完走したことと、バスで帰ってきたこと。同じくらい、こう、手のひらで水をすくうようにそっと抱きしめたい大切な思い出です。

3.キャノンボールジョグ

札幌美唄を2回と千歳1回。これ、超楽しかった。クルマや自転車で通り過ぎた風景を、走ることでうんぬん。自己拡張プラグインなし、自力でってのが楽しい。

風景が。走りきれる自分が(主催者の考えぬいた休憩やペース設定のたまものではある)。帰りのJRでのじんわりとした幸福感が。

4.ひとりきりの顔マラソン

いろいろと考えさせてくれるお題。イベントは楽しいけれど、自分の場合、それは家族の犠牲の上に成り立っているわけで。2012年は、この命題との闘争。

みんなと一緒の時間に走れないからって、ひとり、朝、ワラーチをビタンビタンと鳴らしながら走った夏の札幌。正直、面白いものではなかった。

誰とも共有できない思い出、語ることのできないあるあるトーク。フルマラソンを走りきった疲労感で展開される家族との時間。

みんなと走って、走り終わってビールを飲んだらさぞや楽しかったことだろう。けれど、そうすることはできなかった。じゃあどうすればいいのか。

5.北海道マラソンをワラーチで完走

エントリしたはいいけど、モチベーションを見いだせずにいた道マラ。ワラーチで走ることでモチベーションを保とうとした。もうやらない。

途中、ワラーチの紐がもげたってのはありつつ完走できた。できたけれど、わざわざハンディキャップをしょって走る必要は、やっぱりない。

フルマラソンへのエントリが潤沢にできるならいいけど、そうじゃないし。道マラ自体も、自分は走ってみてもういいやって。

6.朝菓子

走るのもういいかな、と思ったけれど太りたくなかった。子どもと遊ぶのに身体は動いていたかったし。お菓子も食べたかった。

夜、子どもと一緒に寝て4時に起きる。起きてお菓子を食べながらコーヒを飲む。これを維持するために走る。そうして乗り切ったラン・クライシスw。

食べているのは芋けんぴとかりんとう。洋菓子(?)は飽きるので続かないことがわかりました。それとコーヒー4杯くらいで読書。しあわせ。

7.脱アルコール、インターネット、機能性ウェア

家でお酒を飲むのをやめました。朝菓子と天秤にかけ、菓子を取る。大真面目に。両方は取れない。

子どもが小さくいつなにがあるかわからない(急に具合悪くなるとかおもらしとか)し、奥さんがまだ飲めないのでひとりで飲むのははばかられる。

酒を飲まずとも早起きしてるから寝れるし、早起きして本を読むほうが酒飲んでテレビ観てネットするより楽しい。

ネットにかけている時間が多いなあと、ツイッターやブログ(書く・読む)をやめる。ブログは、うまく時間を使ってやれるならやりたいけど…。

機能性ウェア=CWXとかSKINSとか。たくさん持ってるが、今はユニクロのヒートテックで走ってる。締めつけが嫌なのと、逆効果なんじゃね?というのがあり。

ニューハレはいいと思うが、貼るのが面倒なので滅多に使わないし。そう、面倒なのと自分にとって「快」じゃないからという理由。

8.サッカーをやろうとしてできなかった

子どもがサッカーをはじめたので、自分もやって子どもに教えてあげたいなと思った。サッカー教室的なのに何度か通ったけど、忙しくて行けず。

これ、結果的に失敗したけどものすごく転機。考え方的に、ああそうなんだってストンと来た。やりたいことと、できることは違うんだと実感。

サッカーできる親、子どもに教えてあげられる自分は理想。でも、ベース皆無の自分がやろうとすると、かけるコストが膨大。

練習する時間、練習への行き帰り、固定された練習時間の確保、仕事や家庭との時間調整、ネットワーク作り、サッカー全般へ興味を向ける時間など。

ランニングは"比較的"ローコストだから気づきづらい。好きなことを好きにはできない、コストと情熱で考えないとなあと。

9.小学校をなめていた

上の子が小学校に入り、これで楽になるなと思いきや。楽になった部分もあるけれど、そうじゃない方がドでかい。

各種行事の多さ、細々とした日々のスケジュール。嫁いわくシャドーワークが多く、日々が流されていく。

子どももグイグイと成長するし、あちこちでトラブルを巻き起こす。そういうもんだとわかりつつ、自分への時間なんて割けないよねと。

走る、疲れる、なにそれ。休日の朝に20km走りたいところを、15kmにして日中のパフォーマンスを確保する。全力は出しちゃいけない。

それでいい。好きにできると行っちゃうタチなので、子どもを理由に歯止めがきくのはいいと思う。ケガせず長く続けられるんじゃないか。

10.ラジオと図書館

しばらく図書館の存在を忘れていた。図書館で本を借りる事で、自分の読もうとしない本も読めるようになった。

うまく書けないけど、図書館って、そんなに好きじゃない本も棚にあるのを手にとって読んでみてって出会いがあっていい。

ラジオも同じ。走るときに音楽を聴かない派だったが、あっさり転向。なにも聴かずに走るのも楽しいけれど、音楽を聞きながら走るのも楽しく、使い分け。

CDを買ったり借りたり、どういう曲がいいとか流行っているとか追うのが面倒だし、時間が。Youtubeで落とせるけれど、そこまでじゃない。

ラジオ。ラジオなら、そのときどきに合う曲を流してくれるし、いろんな曲がかかるので飽きない。ああなんてことだ、こんなにいいものがあったなんて。

やりたいこと、できること

やりたいことはたくさんあって、ロードバイクに乗りたいとか、トレイルランしたいとか、遠征してマラソンに出たいとか。サッカーも、飲み会も。

でも、自分には家族がいて、家族を差し置いて熱中することはできない。当たり前だけど、当たり前に比重を置けない自分がいるのも確かで。

日中に自分が走りに出ればヨメの負担、遊びに行けない子どもたち。朝からがっつり走れば、疲労でパフォーマンスを発揮できない状況が。

サクリファイス、とまでは言わないけれど。その行為に見合うものなのかと。

現実的に、コストとリスクの問題もある。ギヤや遠征にかかる費用。それをするための時間。それをすることで発生するリスクと、結果。

全てを家庭のために、というのもまた違う。朝起きて本を読んだり走るのか、晩ごはんの下ごしらえをするのか。後者の方がよさそうだが、長い目で考えると微妙。

子どもとの時間は取り戻せないから、というのもありつつ自分の時間だってというのもある。限られた時間の中で、なにがしたくて、なにができるのか。

2012年は、こういうことばかり考えていた。やってみて失敗して、ときに達成感を得て。振り返って、迷惑かけていたとうなだれて。どんどん醒めて、行き詰まった。

楽しいことはこんなにあるのに、楽しいことを楽しくできないのかと。そこに、ほぼ日WEEKSという手帳の各ページにあるひとことの中でこう書いてあった。

みんな、「やりたいことと」と「やってみたいこと」の境界線が曖昧なんじゃない?「会社をやめて北海道の牧場に行きたい」って、それは「やってみたいこと」ですよね。


ピエール瀧さんが『ザ・グレートフリー』の中で

自分の着想とは微妙に違うんですがw。でも、子どもと過ごせる時間とか、人生を振り返ってそれでいいのとか考えながら、できることをやる。

たくさん練習してサブ3.5を目指すのか、そこそこの練習でサブ4するのか。サブ3.5の甘露もわかるけど、ランだけじゃなくやりくりしてのサブ4も魅力的。

自己ベストを更新し続けるのもすごいし、前日入りして呑んだくれてもサブ4しちゃうのもかっこいい。いつなんどきもサブ4ってのは、究極の目標かも知れない。

きっちり練習してびしっと締まった身体もいいし、あんま練習してなくて緩みきった身体も美しいと思う。きった、は言いすぎかw。

走ればいい。Tシャツに着替え、靴を履き、腕時計をして走りだせばいい。それだけでいい。それだけで心が踊る。そんな楽しみを、僕らは持っている。

だのに、なぜ。